発酵旅

発酵旅 vol#1 八丁味噌蔵訪問

豆味噌の魅力

私が住む静岡県は横に長く、県西部地域から車で30分から1時間も走れば愛知県で、三河地方と文化圏が密接と言える。近隣に浜納豆、ミツカン酢、九重味醂、たまり醤油、豆味噌(八丁味噌)など数々の発酵蔵があり、その中でも今回は豆味噌(八丁味噌)の角久味噌蔵を訪問した。

1. 豆味噌の歴史

東海豆味噌は、八丁味噌、三河味噌、三州味噌、名古屋味噌、赤だしとも呼ばれる豆味噌で、中世以前から自家醸造が行われていたと言われている。 730年(天平2年)には、尾張国で豆味噌が朝廷に納められ、739年(天平11年)になると、平城京で豆味噌が販売された。1590年(天正18年)、徳川家康の江戸城入場に伴い、三河地方から多くの人たちが移り住み、愛知から江戸へ味噌が送られるようになり、豆味噌が全国に知られることになった。その後、商品として豆味噌が江戸に初出荷されたのは1781年(天明元年)とのこと。
1610年(慶長15年)に名古屋城築城が始まると、需要が拡大して豆味噌づくりが大きく発展した。1688年(元禄元年)には、知多郡で初めての豆味噌醸造所が開業し、一大醸造地域へと発展。1868年(明治元年)には、味噌づくりへの参入が自由化され、名古屋市、知多郡地方でも味噌の製造が拡大していった。

八丁味噌は本来、愛知県岡崎市八帖町(かつての八丁村)で生産されているものを指し、岡崎市八帖町(旧・八丁村)で、2軒の味噌蔵が味噌を醸造したのが始まりと言われている。八丁味噌の名は商標名ではなく、普通名称で、愛知県岡崎市の岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある八丁町(旧八丁村)に由来している。八帖町の2社(まるや八丁味噌・合資会社八丁味噌)の味噌蔵に配慮して、2社の豆味噌以外を八丁味噌と呼ばないことが慣習となっていた。

この地域は、上流が花崗岩質の矢作川があり、上流から流れてくる水は清浄で豊富で、伏流水は夏も冷たく、味噌造りに最適だった。慶長6(1601)年に八丁村に東海道が通り、舟による輸送と旧東海道が交わる水陸交通の要所となった。江戸時代には土場(船着き場)・塩座(塩の専売)があり、舟を利用して原料の大豆や塩を調達し、味噌の出荷を行っていた。そのため原料である大豆や塩、造り上げた味噌の運搬に適していると同時に、東海道を行き交う旅人が訪れるため、味噌造りとともに商売にも適した土地だった。一方で、八丁村は矢作川や菅生川(乙川)、早川など多くの川に挟まれた高温多湿な土地でもあり、食べ物が腐りやすい環境だった。そのため、このような環境にも耐えられるように仕込み水を極限まで少なくするなど、先人が努力し試行錯誤し、固い味噌となった。また八丁味噌は、温度を調整することなく八丁村の自然な気候の中でゆっくりと熟成させることにより、この地でしか生まれない奥深い味わいが生また。兵食として重要視されてきた味噌を、八丁村で製造することに着目した早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が、味噌醸造を創業したのが「八丁味噌」の始まりと言われている。

しかし、農林水産省が定める、地理的表示(GI)保護制度(※)において、上記2社は八丁味噌ブランドから外されており、元祖の老舗が「八丁味噌」を名乗れない状況となっている。

※地理的表示(GI)保護制度とは2014年6月に制定され、2015年6月から運用を開始。
名前に産地名などを含んだ農産品や農産加工品で、その地域で育まれた伝統的な生産方法や、気候・風土・土壌などの生産地等の特性が品質の特性に結びついている特産品を、国が地域ブランドとして登録することにより、生産者の利益と消費者の信頼の増資を図るための制度。農林水産省は2017年12月、県内39社の業者から成る「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を八丁味噌の生産者団体として地理的表示(GI)に登録し、組合員ではない岡崎の2社は除外された。まるや八丁味噌はこれを不服として提訴するが、東京地裁は2022年6月、訴えを退け、「八丁味噌の製造地域は昭和初期には県全域に及び、社会でも認知されていた」と認定した。

カクキュー 江戸時代の蔵

2.味噌分類における豆味噌の位置づけ

味噌は、“味噌品質表示基準”により、使用される原料によって4種類に分類されている。また、色や味によっても分類することができる。
名称原料
米味噌米麹+大豆+塩
麦みそ麦麹+大豆+塩
豆味噌大豆麹+塩
調合味噌米味噌、麦味噌、豆味噌を混合したもので、
米麹に麦麹や豆麹を混合したものを使用したもの等。
単体の米味噌、麦味噌、豆味噌は除く。
*「発酵検定公式テキスト」より
東海豆味噌の特徴
産地 愛知県、岐阜県、三重県
分類 豆味噌
原料 豆麹・大豆
色 赤褐色
味 濃厚なコクと少しの酸味、渋味、苦味の独特な風味がある。長く寝かせるので色が濃く固いので、塩辛いイメージがある。実は塩分控えめ。

3.豆味噌の製造方法と特徴

八丁味噌は、水で洗った大豆を浸漬し、水切りし、蒸し冷ましてミンチにしたものを、味噌玉に丸めて種麹をまぶす。その後、室で4日かけ豆麹を作り、味噌麹に塩と水を加えて木製(6尺)の大桶に空気を抜きながら味噌を敷き詰め、その上から天然の川石を職人の手で山のように積み上げて重石とし、1年半から2年以上かけて長期間天然醸造される。熟成期間が長く、腐敗を防ぐために塩分濃度を高めているが、水分が抜けている分、堅く辛口に感じるが、塩分濃度は11%前後(一般の赤味噌の塩分濃度は12%前後)ため、独特の渋みとうまみが特徴となっている。
愛知県では「味噌汁」といえば豆味噌を用いた赤い汁のものが一般的であり、八丁味噌も他の豆味噌同様、濃い赤褐色をしているのが特徴である。

4.豆味噌の健康効果とその魅力

国盗り合戦が繰り広げられた戦国時代に、驚くべき長寿を全うした武将がいた。平均寿命がわずか37~38歳であった当時、70歳を超えて生きることはたやすいことではなかった。長寿で知られた武将の息の長い人生と健康の秘密は、日々の食へのこだわりにあったとされる。
とりわけ、三河国(現:愛知県岡崎市)が生誕地とされる徳川家康(享年75歳)は「長命こそ勝ち残りの源である」と常々語り、彼の健康と長寿を支えていたのは、麦飯と豆味噌であった。天下を治め、江戸幕府260余年の基礎を築けたのも、食生活に留意し、晩年まで健康であってこその結果と言える。三河の地方豪族、松平氏の嫡子として生まれた家康は、幼い頃から麦飯を主食にして育ち、生涯、その習慣を変えることはなかった。
家康は大豆100%の豆味噌を味噌汁にして好んで食べ、キジや鶴の焼き鳥など動物性たんぱく質も適度に取っていた。豆味噌にはアルギニンという強壮効果のあるアミノ酸が多く含まれている。家康は生涯で16人の子をもうけ、最後の子は66歳のときで、直系の子が多かったことが徳川幕府を長続きさせる要因にもなったと言われている。
現代ではどうかというと、厚生労働省が2019年1月17日に公表した「’16年がん患者数」は、すべてのがん患者を追跡する「全国がん登録」のデータを初めて集計・分析したもので、この調査結果で見えてくるのが「女性のがんが少ない県」である。「全国がん登録」調査に関わった国立がん研究センター「全国がん登録」室長の松田智大医師は「がんのリスクを減らし、かつ科学的根拠が示されている健康習慣は『禁煙、節酒、食生活、身体運動、適正体重の維持』の5つ。これらに加えて“がんになりにくい地域”には、それなりの食生活や生活習慣が隠されているのです」と発言している。

女性のがんが少ない都道府県ランキングトップ10は次のとおり(人口10万人あたりのがん罹患者数)。

【第1位】愛知県・321.9人
【第2位】山口県・327.2人
【第3位】群馬県・328.3人
【第4位】山形県・330.9人
【第5位】岡山県・331.2人
【第6位】長野県・331.4人
【第7位】沖縄県・332.7人
【第8位】栃木県・333.8人
【第9位】静岡県・335.0人
【第10位】島根県・336.8人
※厚生労働省「がん登録2016年速報」より

この“がんにならない県”ランキングで第1位になった愛知県の生活習慣実態調査を踏まえ、「愛知県の女性の場合、がんのリスクを上げる喫煙率や飲酒率では、全国平均を大きく下回っています。また、肥満が比較的少ないのも重要なこと。厚生労働省の調査でも肥満率は全国の平均より下にあります。また、年間のスポーツ行動者率は全国6位。つまり体を動かす習慣を持つ人も多いのです」と愛知県がんセンター研究所の松尾恵太郎医師は語っている。
また、愛知県といえば八丁味噌や三河味噌などの豆味噌が食卓を彩ることが多く、愛知県民は味噌汁だけでなく味噌カツ、味噌煮込みうどん、どて煮など調味料として豆味噌を多用していることも挙げられる。蒸した大豆を味噌玉にして、麹に仕込んでつくる豆味噌には、女性ホルモンと似た働きをする大豆イソフラボンが豊富。それが乳がんの発症を防ぐ効果があると考えられると松尾医師は分析している。
また、発酵食品である豆味噌の抗酸化力に注目しているのが、椙山女学園大学の江崎秀男教授(管理栄養学)である。2年以上熟成させる豆味噌には褐色の色素『メラノイジン』が多く含まれ、米味噌や麦味噌と比較して抗酸化作用が強いのが特徴。体を酸化させて細胞や遺伝子を傷つけてがんを発生させる、活性酸素を除去する働きがあるとしている。また『メラノイジン』には、糖尿病を予防する機能もあり、がんの発症リスクを2~3割上げるといわれる糖尿病予防効果も挙げている。愛知県は、糖尿病による死亡率がもっとも低い県の一つである。
豆味噌に加え、愛知県はお酢、みりん、醤油などバラエティ豊かな発酵食品の製造蔵がそろっていることも忘れてはならない。

5.豆味噌の可能性

八丁味噌の用途は味噌汁に限らない。旨味が豊富で、煮込んでも風味が飛びにくいという特徴がある。そのため、名古屋名物の味噌煮込みうどんや味噌カツ、どて煮のように、火を入れるレシピも多い。見た目と濃厚な味わいが甜麺醤(てんめんじゃん)と似ていることもあり、甜麺醤が無い場合、八丁味噌に砂糖・はちみつ・ごま油を加えて代用することもできるなど多様な用途が考えられる。
海外でもその効能やうま味が注目されている。1968年にアメリカの消費者団体が岡崎のカクキューを訪れ、見本を持ち帰って分析した結果、その栄養価が高い評価を受けた。1971年1月には『ウォール・ストリート・ジャーナル』で八丁味噌が紹介され、同年2月、カリフォルニア大学微生物学教室のドナルド・サットン主任教授らの現地調査によって食品としての合理性が確認された。こうしたことから輸出量が増え、1975年11月にはシアトルの自然食品販売会社ジャヌス社からカクキューに対し賞賛の額が贈られた。

カクキュー八丁味噌の郷では八丁味噌料理やデザートを楽しめ、今回八丁味噌フレーバーソフトに八丁味噌煎餅が添えられ、八丁味噌パウダーがトッピングされた八丁味噌ソフトをいただいた。発酵食品が少し加わるだけで、ソフトクリームがこんなにも深みのある旨味を含んだものになることを実感。他にも焼き菓子に八丁味噌を材料に入れた商品が販売されていて料理のみならず、スイーツにも応用できる手軽な万能発酵食品だと感じた。

更に、発酵マイスター&プロフェッショナルであるオレガン・愛美さんのAtelier de Koji(アトリエ・ドゥ・コージ)では洋食への展開も提案されている。本来、グレイビーソースは調理された食肉から出る肉汁を元に作られるソースだが、八丁味噌で作ることにより、八丁味噌の旨味であるアミノ酸が肉汁の代わりに深いコクを与え、究極のビーガングレイビーを開発、商品化された。

6.まとめ

訪問前は、ここまで豆味噌の可能性を予見していなかった。せいぜい、徳川家康が健康長寿を保てたぐらいの紹介になると思っていた。しかし、その予想も良い風に裏切られ、調べれば調べるほどその秘めた可能性に魅せられた。また普通にお味噌汁でのみ味わう八丁味噌も複雑で味わい深いが、洋食やスイーツで味わう八丁味噌も幾重にも違う表情を見せてくれ、様々な料理や他の調味料などとのコラボも楽しませてくれそうだ。

7.参考文献

1.“発酵検定公式テキスト” (社)日本発酵文化協会
2.“味噌教室”テキスト (社)日本発酵文化協会
3.株式会社カクキュー八丁味噌 味噌蔵見学資料
4.合資会社八丁味噌 ホームページ
5.㈱まるや八丁味噌 ホームページ
6.愛知の豆みそ 公式サイト
7.アトリエ・ドゥ・コージ ホームページ
8.みんなの発酵BLEND presented by カルピス® ホームページ
9.女性自身 ホームページ 「豆みそに、日照時間…全国統計で判明「がんにならない生活習慣」2019/02/01記事


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